独り言’s diary

art制作の過程で感じることや、日常のこと、そして自身の体験を綴ったblogです。

ピアノリサイタル

フジ子・ミングのコンサートに行くようになって何年になるだろう。

毎年一回、行くのが恒例になっている。

テレビで見て気になる存在になり、友達とコンサートに行って衝撃を受けた。

それ以来だから少なくとも5年以上は経つか。

彼女のピアノを聴いてこんなにも心にグッとくるものがあるなんて想像を超えていた。

 

今回のリサイタルは、発表会で弾くショパンノクターン嬰ハ短調はプログラムの中になかったが、好きな曲ばかりでとても堪能した。

その中でも、ショパンの「革命」には一番感動した。

まさしく心にグッときた。 

「すばらしい」と素直に感じた。

80歳を過ぎているからかミスタッチもあったり音忘れもあったけど、そこはプロ。なんとか立て直した。

音の力強さは80歳とは思えないほどだ。

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曲が終わって一瞬シーンとなる空気感がとても好きだ。

そして堪らず拍手を送る。

生の演奏だから起こる現象だ。

プログラムの最後は、みな総立ちでの拍手。

アンコールで聴いた「ため息」は本当に聞き惚れした。

 

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彼女の演奏を聴くといつもピアノを弾きたくなるしもっと絵を描きたくなる。

いいエネルギーをもらっているからだろう。 

なんでもそうだが、いいエネルギーをもらうととても疲れる。しかし、それはとてもいい疲れだ。

また明日から頑張ろうと思える。

告白

よく行く店の常連との帰りの電車の中で、

「もし付き合ってくれって言ったらどうする?」

と言ったら「どうする?」と

疑問形で返ってきた。疑問形って…汗

なので、自分にまだ恋人がいた頃

「付き合っていなければ付き合いたいと言ったことを覚えている?」と聞くと覚えていると言うでわありませんか。

なので、突っ込んで話していくと、

「付き合ってるという想像がつかない」と言われた。

「じゃあ、前の恋人にはそれを感じたの?」と聞くと、

「前の恋人にはその想像がついた」と、言われた。

なんとも切なく、これは完全に振られた形になっとしまった。

異性だとは感じてくれているけれどそれ以上でもそれ以下でもないという、

いわいる‛お友達’というやつですね。

なんていうか、腹立だしいではないか。

 

でも思い返してみると、スキンシップもアプローチ?も自分からだったように思う。

だから最初から振られていたわけだ。

 

けれど、気持ちを引けずにLINEを送ってみた。

未練がましいか。いや、重たいか・・・

まぁ送ってしまったものは仕方がない。

 

相手探しもその人だけではないわけだし、次行こう!!!!!!!!!

SNSのありよう

このブログを始めてまだ間もないが、

なんとも書きやすい空間だ。

 

SNSは、特にFBで今まで投稿してきたのだけど、

同じようなことを投稿していても、

どこかつくろった文章だったり、

嘘はついていないし、さらけ出した文章だが、どことなく違う。

 

SNSのありようを常に考えるのだが、

LINEは、私の中で連絡手段であり、投稿する場所ではない。

Twitterもあるが、短文しか投稿できないしつぶやきという、うたい文句があったがまさしくその通りである。

そう考えるとFBが一番しっくりときていたのだ。

けれど、投稿している人の文章の面白くないことよ。

楽しいことばかり載せて、あたかも悩みはなく充実した生活を送っているかのような錯覚を相手に与える。

それに類似しているのがインスタグラムである。

 

インスタグラムも食べ物の写真であったり、出かけ先で撮った写真であったり、

海外生活を送っている日常を載せたりと、ここにコメントが充実した日常で、

そうした投稿は反対はしないが、「いいね」も押すが、内心おもしこくない。

インスタグラムの使いようを私はどうしていくのか考え中だが、

やはり作品を載せて世界の人に発信していきたいと考えている。

今は日常の写真を投稿することが多いが、本来は作品公開の場として開設したわけだから、作品を描けるようになったらそれに沿っていきたい。

 

FBの話に戻るが、自らは投稿もしない、反応もしない、

ただの傍観者の感覚に全く理解ができないでいる。

何のためにやっているのかさっぱりだ。

それならばやらなければいいと思う。

しかし、きっとその人たちからすれば情報収集の場であり、

他者との唯一の繋がりの場なのかもしれない。

なんとも悲しいことよ。

 

どうして皆、マイナスのことを載せないのか疑問である。

SNSはそういう場ではないと友人に言われたが納得はしていない。

SNSは疑問がわくものばかりである。

練習

ピアノのレッスンを受けに行く前に練習をしておかないといけないが、

練習する気にならない。

けれど、今週はあまり練習ができなかったからやらなくては...

 

レッスン後は、フジ子・ヘミングのコンサートを聴きに行くから楽しみだ。

聴きに行った感想は、終わってからここに書き込もうと思う。

胃痛で早退

朝から体調は良くなかったけど、

会社行く前には結構痛くなって、

でも朝の分を吐いた。

そしたらもっと痛くなって

ご飯も全然食べられへんかった。

昼休憩後、早退した。

 

働こうと思ったら働けたけど、

帰らしてもらった。

副社長も社長も何かは絶対に思ったはず.....

 

これも吐き続けた結果やろうな…

でもきっと吐くことは止められへんやろうな…

胃がマシになったらまた吐くはず

体重増加

体重が1kg増えていた・・・

 

食べたといってもちゃんと吐いたし何故だ。

夕食後に時間を置いたからか、

お酒を飲んだからか、

いや、でもちゃんと吐いた。

 

体重計に乗るのが怖い。

 

何も食べなければいいのだけど、その反動で食べてしまうし、どうしたらいいのだ。

 

体重が増えたというのに、今何かを口にしたくてたまらない。

薬を飲んだから吐くことはできないし、どうしよう。

儀式

吐いているところを母に見られしまった。

 

見られたくなかった。

 

吐き終わった後にまず思ったことは、家での吐くタイミングだ。

共同生活をしており、トイレも一つしかないとなっては、

トイレに行くタイミングも重なってしまうこともしばしば。

今後、どうするか悩ましい。

自分の部屋でビニール袋に吐いてこっそりと捨てるか、時間を遅めに吐くか、、、

 

最近は食べたらすぐに吐くから、バイト先でも自宅でも

ご飯を食べながら、いつ吐けるかとついつい考えてしまう。

外出先で、誰かと一緒だと吐くタイミングがなくて早く一人になって吐くことばかり考えてしまう。

 

昨日の夜中にお菓子をバカ食いしてしまったから、今日の体重が怖い。

吐いたが増えていそうで怖くてたまらない。

特に今日は昼に外食をし、夜も思ったように吐けなかったから確実に増えていると思う。

 

どこでストレスを発散すればいいのか。

これはもはやストレス発散ではなく、食後の儀式みたいなもののように感じている。

食後に水をがぶ飲みし指を突っ込んで吐く。

 

止められない。

いや、むしろ止めるつもりもないのかもしれない。

 

おかしくなりだしたのは、きっと恋人との関係性がおかしくなりだした頃だろう。

喧嘩して外で一人きりにされた時も、過呼吸に陥った時も、

夜遅くに家を飛び出したときに断られたことも、

恋人がこっちに住み始めて自分の時間がなくなったことも、

全て。

そう、全てに原因があって、結果、別れたことにあると思う。

そこに家族も大いに関わっていること。

 

結果としては別れたのは良いことだったのだけれど、

精神的なダメージは大きいと思われる。

 

吐くための儀式。

儀式をするための準備。

食事をとればその儀式に繋がっていく。

かといって食事をとらないということは、

反動でバカ食いをしてしまって体重の増加に怯えなくてはいけないということになる。

全てが悪循環だ。