独り言’s diary

art制作の過程で感じることや、日常のこと、そして自身の体験を綴ったblogです。

腐ってる

また一つの縁が切れた。

幸せになってほしいだの、私を理解しようとするから、鬱陶しくなってこの際だからはっきりと言ってやった。

4年も経ったから時効ってか⁈そんなわけないだろう!

まぁこれも全て私のまいた種だが、周りの男どもは腐ってる。

 

結婚してるなら、奥さんだけ見とけよ!

心配とか、元気出せとか、幸せになれとかそんな言葉いらねーよ!

ましてやsexの事で頭を侵されてる人間は終わってる。

私がいつお前達に縋った。いつ私を見てくれと懇願した。

お前らの勝手なエゴに付き合ってられない。

 

私を心配してることで自分に酔ってるだけだろ。そんなやつはいらねーよ。私の前から消えろ。

 

お前らは、私じゃなくなった時、別の女性で代行するんだろ。

いやむしろ同時進行なのか。

あれは、私のことを考えての事だったなんて綺麗事はいらねーんだよ。

 

マジで腐ってる。

もっと真面目に生きろよ。₍私もか。。。)

 

不倫とかが横暴化しているのは、互いに合法だったと言い合うからだ。

不倫や、浮気にそんな合法もくそもない。

 

私は義理のお兄さんにわいせつ行為をされた経験も持っているので、合法なんてないと考えている。

けれど、20代前半と30代前半に不倫というものを数か月経験したから分かるが、

結局のところ男も女も自分の身のことしか考えていないということだ。

だから、不倫も浮気も傷つくのだ。

 結局寂しいからと言って不適切な関係を持ったところで安心感は抱けないのだ。

 

このことに関しては紆余曲折色んな解説があるだろうが、

私はこのように考えている。

 

性行為に関してずっと私は悩まされてきた。

それを未だ整理出来ないでいる。

 

不適正な体の関係はその瞬間から破滅へと向かっているのだ。

そして、我に返った時には自分を痛めつけている。

そこには、相手も自分も存在していない。

傷ついた自分しか存在していないのだ。

告白の答え

返事が返ってきた。

 

「週末まで待ってみたけど、なんて返せればいいんやろ。。

まずはありがとう。

でも、考えてみたけどやっぱ想像できないってのが正直なとこかな。

たまにお店なりどっかで飲めるような関係の方がいいかな~と思ってます。」

 

振られたが、まぁはっきりと言ってくれて良かったのだろう。

最初から答えは分かっていたし、なんてことないって強がっておこうと思う。

表現

本当のことを言おう。奴では私を癒せない。闇から救えない。

私は表現者なのだ。かの有名な作曲家や芸術家が作品に込めたように作品でしか表現はできず、救われないのだ。

苦しい時間が続く。

けれど、その先には光があるのだと信じ生きて作品に痕跡を残していくしかない。

それを理解し側にいてくれる人はいないだろう。

 

またコンビニへ行き過食をして嘔吐。

頭が朦朧としてる。

頭の中でブラームス交響曲第1番が渦巻く。

何を書いているのか分からなくなってきた。

ここで終えよう。

 

日々

胃の痛みがなくなってからまた吐く日々に戻った。

食べるために吐くのか、吐くために食べるのか。

分からない。

食べる量は減ったけど、吐かないと気が済まず、指を突っ込んで吐く。

体重が増えることが怖い。

体重計を乗るのが怖い。

早く今の体重から10㎏痩せて元の体重に戻りたい。

それは、ほど遠く嫌になる。

どうすれば痩せるのだろう、、、。

 

今日は、ピアノの練習を頑張ったから指から肩にかけて痛い。

ストレッチはしてるが、発表会が決まる前の倍練習をしてるから仕方がない。

発表会が終わるまでの辛抱だ。

 

先日、告白をしたが、まだ返事はなく、もどかしくて堪らない。

そこまで考える時間が必要なことなのだろうか。

正直なところ、そこまで好きではないのだけど、

っておい、じゃあなぜ告白をしたのだ、、、。

きっと恋人がほしかったんだろう。

好意を抱いてくれているのだとしたら、と思って告白をしたが、

そうじゃないのだとしたらハッキリとしてほしい。

ピアノリサイタル

フジ子・ミングのコンサートに行くようになって何年になるだろう。

毎年一回、行くのが恒例になっている。

テレビで見て気になる存在になり、友達とコンサートに行って衝撃を受けた。

それ以来だから少なくとも5年以上は経つか。

彼女のピアノを聴いてこんなにも心にグッとくるものがあるなんて想像を超えていた。

 

今回のリサイタルは、発表会で弾くショパンノクターン嬰ハ短調はプログラムの中になかったが、好きな曲ばかりでとても堪能した。

その中でも、ショパンの「革命」には一番感動した。

まさしく心にグッときた。 

「すばらしい」と素直に感じた。

80歳を過ぎているからかミスタッチもあったり音忘れもあったけど、そこはプロ。なんとか立て直した。

音の力強さは80歳とは思えないほどだ。

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曲が終わって一瞬シーンとなる空気感がとても好きだ。

そして堪らず拍手を送る。

生の演奏だから起こる現象だ。

プログラムの最後は、みな総立ちでの拍手。

アンコールで聴いた「ため息」は本当に聞き惚れした。

 

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彼女の演奏を聴くといつもピアノを弾きたくなるしもっと絵を描きたくなる。

いいエネルギーをもらっているからだろう。 

なんでもそうだが、いいエネルギーをもらうととても疲れる。しかし、それはとてもいい疲れだ。

また明日から頑張ろうと思える。

告白

よく行く店の常連との帰りの電車の中で、

「もし付き合ってくれって言ったらどうする?」

と言ったら「どうする?」と

疑問形で返ってきた。疑問形って…汗

なので、自分にまだ恋人がいた頃

「付き合っていなければ付き合いたいと言ったことを覚えている?」と聞くと覚えていると言うでわありませんか。

なので、突っ込んで話していくと、

「付き合ってるという想像がつかない」と言われた。

「じゃあ、前の恋人にはそれを感じたの?」と聞くと、

「前の恋人にはその想像がついた」と、言われた。

なんとも切なく、これは完全に振られた形になっとしまった。

異性だとは感じてくれているけれどそれ以上でもそれ以下でもないという、

いわいる‛お友達’というやつですね。

なんていうか、腹立だしいではないか。

 

でも思い返してみると、スキンシップもアプローチ?も自分からだったように思う。

だから最初から振られていたわけだ。

 

けれど、気持ちを引けずにLINEを送ってみた。

未練がましいか。いや、重たいか・・・

まぁ送ってしまったものは仕方がない。

 

相手探しもその人だけではないわけだし、次行こう!!!!!!!!!

SNSのありよう

このブログを始めてまだ間もないが、

なんとも書きやすい空間だ。

 

SNSは、特にFBで今まで投稿してきたのだけど、

同じようなことを投稿していても、

どこかつくろった文章だったり、

嘘はついていないし、さらけ出した文章だが、どことなく違う。

 

SNSのありようを常に考えるのだが、

LINEは、私の中で連絡手段であり、投稿する場所ではない。

Twitterもあるが、短文しか投稿できないしつぶやきという、うたい文句があったがまさしくその通りである。

そう考えるとFBが一番しっくりときていたのだ。

けれど、投稿している人の文章の面白くないことよ。

楽しいことばかり載せて、あたかも悩みはなく充実した生活を送っているかのような錯覚を相手に与える。

それに類似しているのがインスタグラムである。

 

インスタグラムも食べ物の写真であったり、出かけ先で撮った写真であったり、

海外生活を送っている日常を載せたりと、ここにコメントが充実した日常で、

そうした投稿は反対はしないが、「いいね」も押すが、内心おもしこくない。

インスタグラムの使いようを私はどうしていくのか考え中だが、

やはり作品を載せて世界の人に発信していきたいと考えている。

今は日常の写真を投稿することが多いが、本来は作品公開の場として開設したわけだから、作品を描けるようになったらそれに沿っていきたい。

 

FBの話に戻るが、自らは投稿もしない、反応もしない、

ただの傍観者の感覚に全く理解ができないでいる。

何のためにやっているのかさっぱりだ。

それならばやらなければいいと思う。

しかし、きっとその人たちからすれば情報収集の場であり、

他者との唯一の繋がりの場なのかもしれない。

なんとも悲しいことよ。

 

どうして皆、マイナスのことを載せないのか疑問である。

SNSはそういう場ではないと友人に言われたが納得はしていない。

SNSは疑問がわくものばかりである。